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きっと、うまくいく

Aal Izz Well

とってもすてきな言葉。好きなこと突きつめたいね。
頭痛と喉の痛みが酷くて勉強する気がおきず、映画を見ていました。
私は怒りが自分の内側に向くタイプの人間なので、周囲に不満があっても、それは回り回って自分に返ってくるタイプの人間です。
あと、他人に対して怒りをぶつけたくない。
できるだけ怒っている人になりたくない。
喜怒哀楽の中で、恐らく怒りの感情が一番忌避したいものになっている。
だから、この作品に登場する3idots たちの中で、父親に怒られることに不安を感じるナレーターの彼のことが一番気になった。
私も、好きなことを見つけてその道に進みたい。
でも彼と違って、私にはちゃんと応援してくれる家族がいる。私のすることに理解を示してくれる。それなのに自分を好きになれない、自分のすることに自信が持てない、自分を嫌悪する感情と常に闘っている、なんでだろうな…
これをすれば満足、というものが無くて、どうしても人と話すことを求めてしまう。
なんでだろうね…1人では生きていけない自覚どころか、他人にすがりつこうとしている情けない自分がいる。
誰かに必要とされたい、必要だって言ってくれ、あなたはこれができる、あなたならできる、あなたがいてくれてよかった、ありがとう、あなたのお蔭だ、こういった賛辞を渇望する自分が確かにいて、他人からの承認欲求を持て余している。
いないように扱われるのが一番辛く、いっそのこと消えてしまいたいと思う。
私のことをわかってほしいと思う。私はあなたのことをわかりたいと思う。でもあなたって誰だろう?あなたが私にとってのあなたになってくれるのだろうか。
隠しようもない本音なんだわ…自分への不満に苛まれ、自分の価値を他人を通して見出そうとしているの。
自分の生きる意味を教えてほしいだなんて思っているの、大層なことをしていないのに。
他人と交わるのは楽しいし、他人と距離を感じるのは辛いね。
たとえ相手が私を傷つける意図がなくとも、私の成長しない心はすぐに否定的に物事を捉えてしまうんだね。
私は恵まれている、そして、それを心の重荷に思うのではなく、感謝する方向に持っていけたらとてもいいね。

過去あむろ

アムロは現実主義者です。人が全てNTになるには気が遠くなるような時間がかかることを分かっている。シャアやカミーユは急進派です。自分に出来ることが他人にできないはずが無いと、OTの感覚を時代遅れや彼等の怠慢だと見なしてしまう傲慢さも見受けられる。アムロは理想と現実を痛感している。
私はララァは肉体が消滅してしまったからこそアムロとシャアを永遠に繋ぐ女性となったと思います。もし3人が全員生きながらえていたら、ララァはシャアの母になること無く、女という立場に甘んじていたかもしれません。女に興味のなかったシャアは彼女の価値がわからなかったかもしれない。
だからこそアムロはシャアと肩を並べる事など自分に許すことが出来ない…ララァの願いであり、アムロが自身に課したことは、シャアの暴走を受け止めること。純粋すぎるシャアを見守ることしか選べなかった…
アムロも、瑞垣も、私にとって大切なヒーローです。彼らは人の変化を愛しく思う気持ちを抱き、完全に理解し合えない人の複雑さを大事に思っている。大切なのは同一化では無く、違いを認め、受容すること。人類が全員均一な思考回路では人では無くなってしまう。
twitterとはNTの疑似体験だと思います。受動的な姿勢では情報の氾濫に溺れてしまい、受け取りたくなくとも個人の感情や意見に巻き込まれる。そんな渦の中でも肉体ある人の存在を感知できるかどうかが試されます。想いはすれ違い、目的も意思もずれてしまう。人の想いの伝達は苦しみを生み出します。それでも、通じ合ったという一瞬の喜びのために言葉を紡ぐのを止めてはならない。どんなに耐え難い困難が待ち受けていても、失敗を恐れずに立ち向かう心を失ってはいけない。
シャアはアムロララァを神聖視していますか、アムロにとってララァは普通であるという感覚の違いが2人を隔てる価値観の差異だと思います。NTもOTも一緒くたに、ある意味個性として捉えられるか、それともNT能力を特別な力とみなし、優生学的発想をするのか、この違いが2人を決別させる要因となるのだと思います。
サイコフレームの輝きは本当に美しいです…人々の想いに共鳴し、奇跡を起こすν…シャアがアムロに漏らすのは今まで胸中に秘めていた思い…アムロはシャアを分かっていたところは勿論多くあると思います、しかし、ララァを母とみなしていたというシャアの言葉に驚きの声をあげていたことから、まだ分かっていないところがたくさんあったのだな、と感じました。シャアとアムロは戦場での関わりしかなく、シャアとララァだから分かること、シャアとアムロだから分かること、アムロララァだから分かること、と其々の関係において理解し合えていたことが異なると感じています。アムロララァから人の可能性、愛の存在を教わったけれど、シャアには分からなかった、シャアが分かったことはNTこそが人類の光であり未来の姿だということ。失わずに得られることなど無いという言葉もありますが、アムロとシャアがララァの死から得たものがあまりにも違い2人の道を永遠に分かつ原因となったことがとても悲しく、そして切ないです。
コンスコンが12機のリックドムを投入しても全てアムロによって破壊されたシーンがとても好き、彼の無慈悲な攻撃になす術もなく崩れ去っていく様子に興奮する。味方からすれば頼もしいのに空恐ろしい。彼は命が消えていく感覚に鈍くなれる。戦闘力が抜群に優れていて、かつ躊躇がない。
シャアは自分のための犠牲となった人間の死に痛みを感じることができる人だと思いますが、アムロは割り切っていて人の死を悲しむ感情を表明はできてもシャアほど傷付かない人間だと思っています。無慈悲で残酷な精神を保ったまま平然としているのであの人は殺人マシーンになる
アムロは根暗引きこもりチート殺人マシーン…愛するひとがいないひと…本当主人公らしくないというか、一歩間違えたらシロッコや、UCシリーズのフルフロンタルみたいになっていたはず…アムロと彼らの違いはトップに立つカリスマ力の有無とララァとの出会いがあったかどうか。
アムロは正義の味方で人類を100%信じ切っているわけではないと思う
あの人は人間は善にもなりきれないし悪にも染まりきれない中庸な存在であることを肯定した だから何度でも同じ間違いを繰り返すけれどかならずどこかにその失敗から学びより良い方向に持っていく若者の誕生を信じている
アムロララァが言い合いして、出会ったからってどうにもならない出会いなのよってアムロに諭すララァ母性にあふれすぎている…でもアムロの前でしか少女になれないんだよなララァスン…しかしこれは事実だ、認めなければならないって雄を感じる…ねばならない主義の男性。
アムロがいかに兵士として優れた戦績を残しても連邦からは厄介者扱いされて幽閉されて腑抜けになって期待を裏切られたって勝手に幻滅されて子どものように拗ねてララァに会うのが怖いって震えてからサクサク殺人こなし始めて最終的にシャアと心中とかアムロの人生サイコーすぎでしょ
シャアアズナブルってピュアすぎるんだよな〜不正を犯していても高潔なままって生まれ育ちのお蔭なのかな…全然卑しくないんだよね…ゼハートも同じく。この点で言えばアセムも堕ちはしないんだよな、家柄が立派だから。アムロと対照的。カミーユはピュアだわ。
おまえは勘違いをしているんだよおまえが好きなのはララァだろう?ララァの欠片を残した俺を好きだと錯覚しているんだ そうさ、俺はララァから子宮を預かっている 植えつけられている 時折夜中に眼が覚めるんだ
胃でもなく腸でもなく体の内側からおまえの悲痛な叫びが駆け巡り俺は心を打ち砕かずにはいられない おまえはララァを殺したってのに、おまえさえいなければ俺はララァと生きる未来を手にすることができたかもしれないのに
ララァはおまえによって救われた、おまえがいたからおれとララァは宇宙で出会った、それは事実だ、だが真実ではない、おれはおまえを殺すことができた、だがララァの心はそれを拒んだ ララァはおれを欲したが同時におまえを失うことを恐れたからだ
ララァは女だった母ではないそれはおまえの幻想だ だが母は子を守り子を手放すおまえをいつまでも心の奥底に大事に秘めていてももうおまえを抱くことはしない っていうアムロさん

いつでも旅に出かけることができる身軽さをもつアムロは、ララァのこころはシャアのものだと知りながらシャアはそれに気づいていないことが歯がゆくて鬱陶しい
決して認められないシャアと分からせようとするのを諦めて受け入れアムロは母性を発揮する

アムロはねえ!!ママなの!!ララァに代わって生けるママになったの!!亡国の王子さまを叱咤激励するの!!でも抱かれてはくれないの!!!女の子が好きだから!!!
アムロレイはシャイアン幽閉時代に人間の三大欲求、睡眠欲、食欲、性欲、すべてをVIP待遇で連邦政府から受けていたと思うんだけど、いくら最高級のスプリングが利いたベッドで一日中惰眠を貪ることができたとしても、世界中から集めた最高級料理を口にしても、宇宙中の美女を集め高級娼婦と昼夜関係なく体を重ね合っていても満たされないものがあるって気づいてしまったと思っているの。虚しさを感じたはずだわ。ふるさとは、遠くにありて思うもの、って犀星さんは言っているけれど、生まれ故郷が廃墟と化したスペースノイドにとっては他人の心に住まう自分こそが帰る場所であり、自分の守るべきものなんだよね。だから、あなたには、守るべき人も、守るべきものも無いというのに!!というララァの糾弾に上手に反論できなかったアムロは空っぽの人形といっても言い過ぎではない。言葉に窮した、のほうが表現的に良かったかもしれない。基本的にアムロは言語運用能力が一般人だから演説するのが向いていない。態度で示すといえば響きは良いけれど、つまり大衆に対する説得力が著しく欠けるんだな

そんな虚無で覆われた元英雄アムロは15歳から22歳という多感な時期を、黄金の湯船に浸からせられたお蔭ですっかり腑抜けになってしまって、ああ、なんて可哀想。でも同情は彼をもっとみじめにする。ベルが彼を鼓舞してくれたこと、本当に感謝だわ。シャアは精々喧嘩を吹っ掛けるくらいしかできない
カミーユはかつての英雄の情けない姿に絶望したでしょう。最初の衝撃からずっとついてきたクワトロが揺れ、どんな大人も信じられないと、不信感を募らせた彼にとって、アムロこそ見本になるかもしれなかったのに。けれど英雄は、MSに乗りさえすれば、やはりかつての力を発揮する
アムロは指導力が無いの。所詮殺人マシーンに過ぎないの。連邦の都合のよいようにあしらわれることにしたがっているしかないの。きっとセイラさんやミライさん、カイさん、ブライト、ハヤトたちを人質に取られたら、何もできないでしょう。カツレツキッカ、アムロはリーダーにはなれないの。彼には思想はないの。彼にあるのは、自分の大切なものを守りたいというただそれだけしかないの。シャアのように、人類全体を救おうなんて、壮大なことは考えられないの。それはお偉いさんに任せよう。おれたちはただ、自分の愛する者を守るにすぎないのだって言って。

虹村と灰崎

ラインで友達に虹村と灰崎のことを話していたら予想以上に長くなったので、ブログでまとめてみることにした。
私のイメージとしては
中学校の灰崎くんは、居場所を1つに定めるのが嫌で、部活とかサボってるって虹村先輩が評していたのに賛成で、やっぱ単に一生懸命部活してるって奴がすごくダサく見えて、おれは部活以外にも居場所あるんだよ、馬鹿の一つ覚えみたいにバスケばっかりにかまけてられねぇよ!って粋がってたけど、実際はゲーセンで遊んだり他校の生徒に喧嘩ふっかけたりくらいしかやることがなかった。
だけど、素直に虹村さんや赤司くんの言うことを唯々諾々と聞いて従うのはどうしてもプライドが許さなくて、その素行にキレた赤司に退部を勧められたら、おれだってこんなところすぐにやめてやるよ!って逆ギレ状態でやめた
黒子くんが止めようとしても、灰崎くんからすれば、お前みたいに一途にバスケばっかりやるなんて真っ平御免だ、おれはおれのやりたいように生活するんだから干渉してくるなよ、って感じ
一方虹村さんは、中1のころ金髪にしたり他校の生徒と喧嘩したり襲撃事件に加担したりって不良ぶりを散々発揮していたんだけれど、バスケ部顧問の白金先生に、その力をバスケで使わないかって誘われて、じゃあそうするかって更生した。
その際ちょうど病気が重くなった親父さんのことも考えて、素行を良くする、かつ親孝行をするってことに挑戦し始めた
そんな折に、後輩として入部してきた灰崎くんを見て、昔の自分と同じように不良ぶっているのを見て、過去の自分を重ねてしまい、放っておけなくなった
けれど、虹村さん自身親父さんの病気の進行が酷くなったり、後輩のキセキの世代をキャプテンとしてまとめたり、と、色々責任やしなければならない義務に追われて、どうしても灰崎くんの面倒を見切れなくなった
だから、赤司くんの才能が覚醒したのを機に(紫原くんと赤司くんが戦うまえだから、まだ覚醒していないのかも。先手必勝で、後輩に負けるまえに、トンズラしたのか。感じ悪い言い方で申し訳ないけれど、いいとこ取りばっかしてる虹村さんは狡いと思う。)キャプテンの座を譲り、自分は一部員として帝光バスケ部にいる事を決めた時、キャプテンだから、という言い分で灰崎くんを引っ張ってこれたのが、今度は言い分がなくなってしまい、灰崎くんを無理やり部活に参加させる名目が消えてしまうことになった。
だから、虹村さんは赤司くんにキャプテンを譲った後、灰崎くんのことはもう構うことができないって思ってしまうし、灰崎くんは、あんなにしつこくつきまとってきた虹村さんが、自分がキャプテンを降りた途端構わなくなってきたのを見て、やっぱりこの人は中途半端におれに絡んでくる厄介な人だったんだって認識をする。お互いもう二度と触れたくないような過去となってしまった。
灰崎くんとしては、もう虹村さんなんていう、暴力を振るって自分を従えようとする人間とは縁を切れてよかったって思っているし、
虹村さんは、結局自分は自己満足で灰崎くんを部活に引っ張ってしまった、あいつは過去のおれのように部活に素直にとりくめないだけで、絶対才能はあるはずなのに、キセキの世代という才能の塊が一気に入部したことで霞んでしまった、キセキの世代さえいなければ、お前はバスケを続けていたんじゃないのか、っていう心のしこりを抱えながら、渡米してしまったって感じ。

なんか、灰崎くんって、帝光中バスケ部虹村修造の唯一の汚点みたいな立ち位置だと思うんだよね。
赤司くんにとっても、他のキセキにとっても、虹村修造は完璧な頼れるキャプテンだった。あの赤司くんでさえ、虹村さんのことは一目置いていて、先生からの信頼も厚く、完璧超人だった。
けれど、唯一、灰崎祥吾にとっては、虹村さんほど不器用に自分の欠点を押し隠し、うまく振舞おうとして自分を押し込めている人は居なかったんだよね。
あの人だって、選手なら、レギュラーとして試合に出たかったはず。最後3年の時だって、試合で勝って優勝旗を手にしたいと思うのが自然。
けれど、才能あふれる後輩たちの前では良い先輩ぶって、まるで彼らの道を導くかのような先輩の鏡として振舞った。
赤司くんという帝王学を身につけた、おおよそ中学生とは考えられないようなハイスペックな人からも尊敬されるというのは、大きなに自信になるとともに、すごくプレッシャーだと思うんだよね。期待通りの先輩にならなければならない。小さな背中で背負うにはあまりにも大きなチカラを持て余し、不安になる後輩たちを導くことができるような、立派な先輩にならなければならない。そういった圧力と戦っている事をまるで悟らせなかった。けれど、灰崎くんだけには、理不尽な暴力を振るい、キャプテンだからという名目で、好き勝手に引きずり出した。
確かに、部活に出る出ないは本人の意思次第なのだけれど、虹村にとって、灰崎くんとは、過去の自分の生き写しであり、いま完璧に振舞っている自分の逃げ場所としてみることができる唯一の救いでもあったと思うんだよね。
だから、灰崎くんが辞めたバスケ部では虹村さんはキャプテンを務めることができない。
これからは、キャプテンとなった赤司くんを、良き先輩としてサポートすることに務めることが、正しい先輩としての態度だった。
勿論、試合に出られないのは悔しいのだけれど、実力がキセキの世代よりも劣っているのだから、当然、身を引かなければならない。
灰崎くんは、そんな虹村さんを見て、自分の本音さえ言えない窮屈な場所に身を置いているのが酷く滑稽だと思い、ますます帝光バスケ部への嫌悪感を大きくした。
そもそも灰崎くんって虹村さんのこと拒否するから、虹村さんも辛いし、灰崎くんも鬱陶しがるから、幸せと程遠いCPだけど、灰崎くんのこと、もっとちゃんとしろよ!!ってぶん殴ってあげられるのは虹村さんしかいないんだよね。
灰崎くんも、他の人から殴られるのはすぐに懲りるのに(青峰くんが相手の時は一発で黙ったのに、)虹村さんには負けると分かっていても、反抗する。
だから、お互い殴ったり殴られたりしながらも、お前の前だから、俺は俺のままで居られる。変に気取ったり、我慢したりしないで、自分らしくいられる。それが虹灰の醍醐味だと思うんだ〜

振り上げた拳を受け止めてくれる相手がいるっていうのはとっても貴重なことだと思う。

その感情の爆発の発散相手を互いに見いだせていたら、どんなに体に傷ができても、心の空虚を満たすことができる。

虹村さんは苦手な手加減を灰崎くんに施しているそう…灰崎くんはこの世の中の苦手なものの筆頭に虹村修造をあげている…これの意味するところは…?(深読み)

虹村さんが赤司くんに注目したり、灰崎くんが黄瀬くんに注目したりするのは凄く分かるし、虹村さんと灰崎くんの運命は二度と交錯しないかもしれないけれど、私はもう一度再会してほしいと切に願う。
二人とも、意地っ張りだから、自分の弱みを素直に曝けだせない。
でも、虹村と灰崎同士なら、思いっきり喧嘩できるから、一緒にいるのがラク。

中学時代は無意識で甘え合っている!!離れてからやっと自覚する!!!
二人とも世間慣れしてるから、ちゃんと自覚したら、懐かしんだりしちゃうんだけど、いざ再会となると、すごく気後れするし、気はずかしい。
あの時はあいつにあんなことしてたけど、それって俺があいつに甘えてたからなんだなって回想するの…
灰崎も、虹村が暴力を振るって迎えに来るのが本当に嫌ならさっさと部活をやめればいいのに居続けたのは、なんだかんだ言いつつ、虹村さんに引きずってもらえるのが嬉しかったんだと思うんだ…
灰崎くん構ってちゃんだし、お兄さんがいる弟キャラだから、文句言いつつも、虹村さんっていうお兄さんに甘えてたし、好きだったと思うんだよ〜
虹村さんも、弟や妹がいるお兄さんだから、灰崎のこと、手のかかる弟だって、可愛がってたと思うんだよ〜


結論

灰崎くんは虹村さんのサンドバック。
カッコ悪い虹村さんがみれるのは灰崎くんの前でだけ!おめでとう!灰崎祥吾!!


スラムダンク6巻までの感想

完全版スラムダンク一巻感想
花道くんのひたむきさが癒される〜!
仲間たちにゴツンと頭をぶつけて怒る姿が気持ちいいくらいまっすぐでニコニコしてしまう。
そんな花道くんを仕方ないな〜って受け入れる水戸くんたちのとほほ〜な表情もいいね…
今までは、暴力描写ってどうしても敵サイドから来るイメージだったけれど、主人公から積極的に理不尽な暴力を振るっているのも、これくらいの元気があるくらいがちょうどいい!って感じでスカッとする。
はるこさんの天真爛漫っぷりと、それにどきどきしてころっと落ちちゃう花道くんの二人は見ていて微笑ましい…
赤木兄妹は秀徳の大坪兄妹を想起させるな〜
赤木先輩は、陽泉の岡村主将のような愛らしさがある…好きです…
流川くんの登場は、リボーンの雲雀っぽい?って思ったけれど、だんだんNARUTOのサスケに見えてきた。
相対的に花道くんはナルトかな?って思うけど、ナルトの、心が引きちぎれるような行動原理と違って、花道くんはまっすぐな恋愛感情に突き動かされている感じがする。
ナルトも花道くんも、ヒロインを気を引こうと頑張るところは似ているから、今後の展開が楽しみだ〜

スラムダンク2巻感想
彩子さんかわいい〜!晴子さんに頬ちゅーする絵は永久保存版…木暮先輩が赤木先輩を諌める場面は私まで泣きたくなるくらい優しい…こんな男性が居てくれたら組織は安泰や…青田先輩の学ラン、裾が長いところがやんちゃ感あってニマニマしてしまう〜上唇より下唇が厚いところが好き…全体的に顔が好きです。
(はるこさん相手の照れ顔は私の心にクリティカルヒット♡)
外せないのが、青田先輩に花道くんが言い放つ、「バスケットマンだからだ」という一言に対する赤木&青田先輩の表情が、彼らの衝撃を何も言わずともまざまざと表していて、おお〜競技をする理由の何たるシンプルさ!花道くんかっこいい!って思えた。
初めての競技に触れた時、基礎練習をひたすら繰り返して、出来ることがどんどん増えていって、益々楽しくなる感覚、そんな時、私もあったなぁーって懐かしくも思った…花道くんを応援したい!!

スラムダンク3巻感想
彦一くんかわいいな〜最初は吉貞タイプかな?って思ったけど彼よりもずっと真面目(笑)だった!!
また、陵南高校に対する気合の入りっぷりがいい…赤木主将と木暮副主将のやりとり、声の掛け合い私は大好きだ…
そして…期待通りだよ花道くん!!!君が赤い髪の時点で予感はしてた!!!やはり君が背番号10番なんだね!!!!嬉しい!!!
仙道くん爽やかだな〜前髪が逆立ってるのすごい。寝癖??
彦一くん、まるで海音寺先輩に憧れるヒガシや…性根まっすぐ、癒しキャラだ〜
気になったのは、相手の監督にカンチョー決めたのは見たけど、テクニカルファウル取られちゃうシーンカットされてる!?
いてもたってもいられない花道くんはかわいいな〜!!!
仙道さんの挑発に乗っちゃう花道くんかわいいな〜!!!
私のハートは鷲掴みにされています!!!花道くん!!!君が好きだ!!!
そして赤木先輩と交代!!!このプレッシャー!!!
魚住さんが最初に握手を無視した時からなんとなく嫌な予感はしたんだ…赤木先輩…
頑張れ花道くん!!秘密兵器の大活躍を期待します!!!

スラムダンク4巻感想
フンフンフンディフェンス来たーー!!!あのガチガチっぷりからこの変化!!流石花道くんや…
仙道さんのお兄さんぶりに花道くんが弟と化している…いや、花道くんは湘北の皆んなの愛すべき弟キャラなんですけど、試合中に(というか初対面から)兄弟ぽさガンガンに感じていまして…弟の成長を嬉しそうに感じている兄仙道さんが年上オーラガンガンに垂れ流しています…
そして花道くんとルカワくんのダブルチームで仙道封じ…ニコッと微笑む兄仙道(⚠︎私の目はフィルターを通しています…)
いやぁ、魚住さんにナイスパスしてよォーし!!って声あげる仙道さん、ファンになっちゃいます…さぁ来い、一年坊ってさぁ〜兄力高すぎだよ〜
ここの見せ場は何と言っても、花道くんのシュートブロックですよね!!!あなたの跳躍力を目にすることを私は心待ちにしていました!!!はるこさんと同じ気持ちです、スゴイスゴイスゴイスゴーイ桜木くん!!!♡
流川くんのスリーで一点差、次回が気になって仕方がないぜ!!!

スラムダンク5巻感想
土壇場でのルカワくんから花道くんへのパス!そして庶民シュート!!気持ちいいね〜置いてくるシュートだから、入っているか本人が不安がるところが初心ぽくていい〜ネットが揺れてたらおっしゃ!って感じなのかな?得点板みて笑顔を浮かべる花道くん天使だ…そして怒涛の反撃仙道兄さん!!クールだ…実にスマート。ふぅーって息を吐くエースはどれだけ背負っているものがあるのか…パスを強請り、体育館シューズ脱げちゃった花道くんの今後の成長を仙道兄さんとともに見守りたいです…(ギュウって力込めて握手してくれる花道くん、私の推し…)
校門で待ち伏せしてる青田さん親近感を覚えるわ…私も花道くん出待ちしたい…
頑固な赤木先輩って字面かわいいな…
エアジョーダンシックスが花道くんの初バッシュね…メモしよう…
花道くんのニューバッシュ踏んであげる湘北バスケ部サイコー…やっぱり木暮さん、あなたは湘北バスケ部の編集長や…あなたの総括がチームをまとめあげる…大黒柱は勿論赤木先輩です!!
水戸洋平さんと宮城リョータさんの邂逅、緊迫感すごいな…特に何もしてないように見えるのにこの一瞬の視線の交わりだけで一体何を交信したんだ…?
堀田さんはかわいいタラコ唇のゆるキャラ
三井さん、マスクから顎が覗いてるのキュートだな…この大物感。バンドやってそう。でも前歯がない。これは歌えない?
安田さん、花道くんがヤスって呼んでた時から気になってたけど、宮城さんと仲良いのか〜2年生いいね〜
殴り合い宇宙で和解する花道くん&リョータくんコンビ爆誕。愛は人を結ぶね。
三井さんめっちゃ悪だ…しかし残念ながら私はすでに知っている…あなたが改心してバスケをすることを…(確か安西先生に涙ながらに訴えるのではなかったかな…?)名シーンまで号ご期待。

スラムダンク6巻感想
木暮先輩のうさぎ柄のTシャツかわいい。
殴り込みは怖い。この効果音だけで臨場感漂うのは流石としか言いようがない。
今は読んで展開を知って暫く経ったから落ち着いているけれど、ページをめくっていた時は続きを見なくてはとはやる気持ちを抑えながら皆んなの戦闘を目に焼き付けていた…
はい!ここできました正義の味方桜木軍団!
花道くんがかっこよくてカッコよくて…鉄男さんが笑っちゃうのも無理はない…
そして赤木先輩による衝撃の事実発覚…
そして過去編へ〜
若かりし頃の三井さん、優しそうな挫折を知らない若い息吹って感じです。
一年生赤木さんのユニフォーム番号が10番であることについ目がいってしまった、やはり10番は最強だ… 

NTとM垣

定期的にバッテリーの3年生組とファーストガンダム3人を絡めて話してるんだが、さすがにくどいので日記にしてまとめることにした。

ガンダムネタバレあり。
バッテリーについて、一番最初の出会いは門脇と瑞垣。おしめの頃からの付き合いだから。
この時点では二人はお互いを隔てる壁もなく、うまくいっていた。
けれど、中学に上がる前に、瑞垣は自分と門脇の差を突きつけられてしまった。
当然焦る。
そしてその原因は才能の有無だと断定。所詮自分は小手先が器用なだけで、門脇に並ぶなんて到底考えられない、と。
これをガンダムで置き換えると、シャアとララァの出会いがあげられる。
シャアが最初にララァの原石を見出した。
この人も自分と同じ戦場で戦える人間なんじゃないかって。存分に力を発揮するララァを見て、期待通りだったと思うと同時に、シャアはララァのようにはなれないと悟る。

これ他にも例を挙げると中原中也長谷川泰子の話もしたくなるけど省略。

そして、いよいよ海音寺の登場。
自分の置かれた状況(薄々気づいていた展西と原田たちの不和が予想もしない最悪の展開を迎えて野球を取り上げられる)に地団駄踏んでいた彼は門脇と交渉することを思いつく。
この場合原田はMSってことなのか笑
野球の神に愛されたパイロット海音寺が木馬(新田東)から敵地(横手)に乗り込むと。
海音寺と門脇はすぐに意気投合して、門脇はMS(原田)に会うことを約束する。
その後、なんと門脇の相棒、瑞垣も来る!!

ここでやっと海音寺と瑞垣が互いを認識する!!
この順番!!
海音寺は瑞垣の要領のよさにびっくりするんだけど、彼自身秘めていた力があって、瑞垣に会うたびに頭角をあらわしていく。
最初いい子だけの坊ちゃんかって舐めていた瑞垣はたまらない。この人すごくやり辛い相手じゃんって思い知らされる。
ここで二人は永遠のライバルとなるの…
同志だったのは、一緒に試合の計画を立てていた一瞬だけ。
瑞垣にとっての味方は門脇であることは変わらない〜二人は血縁関係のない兄弟だから。
海音寺と門脇は息の合う友人…

月吠えでいうなら、「室生犀星」と萩原朔太郎北原白秋かな…!

つまりわたしは秀才タイプに魅入られるってことなんだ、天才に追いつけなくて足掻いている人。
↑4月16日
これうそや〜アムロも火神くんも桜木くんも天才型やん〜瑞垣は秀才止まりなんや〜違うやん〜
まぁどっちも好きということで!!オーライ!!
またこの3関係について語りたくなったら日記に書こう〜

ああ人間の発達の規定要因は
素質(遺伝、生得的なもの)と、環境(経験、学習)なので、
両者の相互作用がポイントだから!!才能の有無だけで諦めるな瑞垣!

アセムアスノも同じタイプの人間…本当、一人で武者修行する秀才タイプはわたしを骨抜きにする…

2016/2/5 追記

Zでシャアはアムロに共に宇宙へって誘うんだけど、NTアムロに失われたララァを見いだしてるって考えると辛い!アムロだって十分に辛いのに、シャアはアムロを通してしかララァを感じられない!!
この二人の秘密の共有。他の誰も代わりはいないの。
これは瑞垣が海音寺に見いだす野球と同じ。ずっとずっと手にしたくてついに目を背けた彼は門脇を海音寺を通してしか感じようとしないの、本当辛い…

2016/2/7
追記

自分の幸せは自分の内部から作り出してほしいの。他人に依存しないで~~~~!

ハツカネズミと人間

 

 

ジョージ・ミルトンが好きすぎて本気で結婚したい。
彼と、レニー・スモールは二人でカリフォルニアの農場を転々と渡る労働者。ジョージは小柄で機敏、顔が浅黒く、ぬけめのない目をして、目鼻だちも鋭くたくましい。からだのどの部分もきびきびしており、手は小さくて丈夫、腕はしなやか、鼻は細く骨ばっている。
レニーはジョージと正反対の大男で、顔にしまりがなく、大きな薄い目と幅広い目と幅広いなで肩をしている。
レニーは頭が弱くて、そんなレニーのお世話をせっせと焼くジョージ本当に大好き。よーしよし、よくできた。って褒めてくれるの、それにレニーは得意になってにっこりするの、なんて可愛らしい二人なの。
今日はここに寝て、空を見ていてえよ。そうするんが好きなんだ。ジョージがぽつりと呟いてじっと空を眺めているのを隣で見ていたい。
ハツカネズミを拾うのが大好きなレニーから、ネズミを取り上げるジョージの飼い主っぷりがね、見ていて胸がぎゅーってなる。この大バカのこんちきしょう。いつもおれをひでえ目にあわせやがって。罵倒しながらも、レニーにいてほしいって訴えるジョージは目に入れても痛くないくらい可愛い。
おらにはおめえがついてるし、おめえにはおらがついていて、互いに世話をしあうから。そういうわけさってジョージが言い聞かせる話をそらで覚えちゃうレニーは穢れのない赤子。
親方のいうとおり、他人の面倒をこんなによく見る男は見たことないよ。おめえの親類だったら、おれは自分から死んだほうがましだねって、ジョージは意地悪をいうのをやめられない。おれたちゃいっしょに歩いているのよ、というジョージに、へぇー、そういうわけですかって意味深に返すカーリーには腹がたつったらありゃしない。
スリムは初登場時から印象的だった。背が高く、ぬれた長い黒髪の持ち主、王者と名工だけが持つ威厳があって、その態度には重みと底知れぬ落ち着きがある。かれが話を始めると座が静まり返ってしまう。彫りの深いその顔は年齢を表さない。耳は言われたこと以上のことを聞き取り、ゆっくりと話すその言葉には、単なる思慮でなく、思慮以上の深い理解を含んでいる。大きくてすらりとした手は、神殿の踊り子のように動きが優雅。メス犬を飼っていて、茶色と白の斑はレニーに譲られるのだれど、レニーはやっぱり殺してしまう。
ジョージがスリムに身の上話をしているシーンはとても好き。スリムには不思議と心を開かせる力がある。レニーのようなアホウとおまえのような小粒でピリッとした男という二人の表現方法が想像を容易くする。
もともとレニーをなぶってさんざん楽しんだけれど、次第に面白くなくなって、からかうのをやめた経緯が、めったに起こりえない、ほんとうに頭がきれていいやつジョージという男を生み出したんだね。
一人で歩いても楽しくねぇ。長い間にゃ気持ちがひねくれてくる。だが、友だちといっしょに歩きつけると、とても離れられねえもんよ。ジョージのレニーに対する愛情に心打たれる。子どもみたいな悪気のない、ただの力が強いだけの男、レニー。いっぱい面倒をかけさせられるけど、やっぱりどうしたって嫌いになれないんだよね…。
次にクルックス。自尊心の強く、殻に閉じこもる黒人男性。彼の、人間には仲間が必要だ。そばにいる仲間が。という慟哭が頭の中でこだまする。仲間が誰もいねぇと、気が変になっちまう。だれでもかまわねぇ、いっしょにいるならそれでいい。だってなぁ、あまり寂しくなると、病気になっちまうんだよ。ひとりじゃわからねぇんだ。
けれど、最終的に、ジョージは一人で生きていく決意をする。レニーにひどいことをさせるもんか。という言葉は、ジョージがレニーにしてあげることのできる唯一の選択肢を示していた。
レニーはものごとはなんにも覚えていられないのに、ジョージのいうことはのこらず覚えている。レニーに向かって銃を上げても、手が震えてしまうジョージ。彼は、レニーを失うことで自分の夢も壊してしまうことを知っている。厳しい顔をして手を落ち着けて、引き金を引いたジョージ。
せめて、楽に逝けるように。彼の希望の灯を犠牲に、れニーが静かに、まるで眠るかのごとく生命の華を散らせるように。
最後、ジョージの腕をとって飲みに行こうと誘うスリムの二人が連れ立って歩いていく後ろ姿を、わたしは脳内で何度も繰り返し再生してしまうの。
 
ジョージとレニーの関係はすべてこの世の非肉体的な、非性的な(大変使い古され、不適当で、今はほとんど意味を失ってしまった「精神的」という言葉を使ってその意味するものを表すのに役立てよう)感情、関心、そして野望の規範である。 

Burton Rascoe, 'John Steinbeck," Tedlock and Wicker, p.61から引用
レニー(門脇)とジョージ(瑞垣)は言語が違うんだけど、互いに支え合ってる。スリム(海音寺)とジョージは同じ言語で分かり合うことができるの。
ジョージはスリムの中に新たな聞き手を見出すのだけれど、本来彼はレニーなしでは話を続けることができない。彼の悲しみを理解できるのはスリム、だけどその理解は空いてしまった穴を完全に埋めることはない。
ジョージは聴き手の注意を何とか保っている間は現実のように思える夢を作り出す能力がある。
しかし、レニーが死ぬと彼もまた地に落ちてしまう。
聴き手は自分の語る作り話のようにつかの間のものであり、たまたまその環境に捕らえられていたにすぎないことに気づいて、彼は今まで考えていたものよりもっと世俗的な現実に順応しようとするのである。
スタインベック作品論 テツマロ・ハヤシ編 坪井清彦監訳 p120
「コヨーテが遠吠えをし、犬が流れの向こう側からそれに応えて吠えた」という冒頭の章の終わりと異なり、
レニーは「川を横切ってむこうへ」行ってしまった。

瑞垣と門脇が一緒の世界で生きていける道を模索していきたい…;;
クララおばさんがあまりにも佳代さんで私は驚いている。

2016/02/01
追記

ジョージはレニーを殺してしまったことで永遠に彼の面影を引きずるんだろうけれど瑞垣あなたはやり直すことができる。
死って簡単に言えるのは、私がそれに疎いから。完全に切り離された文字上の概念だからいことができるんだと思う。
身近な人の死を体感したことがないから。死んじゃうってどんなことか頭でしかわかっていないから。
確かに死亡事件が自分の周りで起きたことはある。けれどそれは私の内面に深く影響をおよぼすほどのものではなくて、ああ、可哀想、お悔やみ申し上げますって程度。
酷いようだけれど、人間が向けることのできる関心の幅って案外狭い。
マクロすぎる視点だとミクロの見落としをしてしまう。
社会問題を論じる前に、私の近所で起こっている問題に対して私はどんな行動をとれているのかって考えると、なんてちっぽけなことしかできていないんだろうって軽く落ち込む。
それでもやっぱり考えることと行動することを完全に放棄したら元も子もないよね。
最近自分が言葉を発するうえで自由に述べていたつもりがあまりにも枠にとらわれていていることに気づかされる。
守るべき規則と圧迫の区別を自分なりに決めたい。
そういう境界線ってきっととっても曖昧で、全員の意志を統一することなんてできないんだろう。
でも統一できないからこそ発想力がかき立てられて、自分がどんな言葉を使うかによって人格ができるんだって思えば、
この気が遠くなるような膨大な言葉の洪水の中で、自分の道を探していく気力も湧くはず。

追記 
2016/2/7

http://blog.livedoor.jp/potentsu/archives/518985.html

上記のブログを読んで、私はやっぱりこのお話が好きだなと再認識。
孤独を選択するジョージ。
レニーは彼の相棒であり、夢の象徴であり、彼にとっての唯一の聴き手だった。
現実世界に帰るジョージはこの先いったいどんな道を歩むのか。
私は彼の行く末を応援したい。
原作としては、飲みに連れ出したスリムとジョージによるスリジョーが読みたい…
ジョージが信頼するスリムによって身体が暴かれる展開を…

 

独り言

ちょっとブログ書くのが楽しすぎて独り言続ける。

私の好みのタイプって饒舌な根暗なんです、楽観的に見えるけど内心渦巻く思考は内省的で、義理堅い人。(未亡人みたいな陰のあるひと!!)
人の機微に敏感だけども毎回器用に立ち回れるほど大人でもなく、時に癇癪を起こして子供っぽい面も見られるけれど、基本的にみんなから頼られる影の立役者。
普通の人だったら歯が浮くようなキザな台詞もお手の物で、人の心を掴む天性のたらし気質。
庶民にとっても親しみやすいチャーミングなキャラクターで、不機嫌な時はともかく一緒にいて飽きないエンターテイナー。
ちゃんと落ち着く時とハメを外すときと分別をわきまえていて、その多才さに嫉妬することもあれど決して憎み切れない、尊敬を集める人間。
ただし本人は頑なにリーダーになることを拒み、周りも無理強いしないから、とことん影に徹する役割を演じている。
人心掌握に長けていて、話術と見た目で相手の警戒心を解いてはするりと心を許してもらえる。
苦手なことは打算なく自分の正直な気持ちを伝えること。
プライドと臆病心がそれを許さない。
捻くれていて物事に慎重になりすぎて遠回りしがち(戦略的なものであれば抜群の指揮をとるんだけど、プライベートになるとその能力は一気に落ちる残念体質)哀愁漂う姿で、「人は変わるものだろ」って呟いてくれたら私はあなたについていきます。
幸薄そうって要素ありそう…でも人間だれしも必ず幸福が約束されているわけではないのだから言い出したらきりがないな…


そんな私の好きな子の彼氏は顔良し頭よしなんだけど器量は微妙。人に優しくできるんだけど恋愛沙汰にはとことん不器用で相手に嫌われてしまうことも多々ある。
とにかく好物件だから敬遠されがち(親しみやすさはあっても自分と釣り合うかどうかで女性陣は気後れしてしまう)
例えばシャアの愛人ナナイは3拍子揃ってる才女。
めったに見ないってくらいの女史じゃないと相手が務まらないという難儀な男。
彼らの武器はストレートで純粋であるということ。
正直であることを躊躇わないから、まっすぐ心に響くような言葉を自然に使う。


そんな感じが私の好み。また何か加わるかもしれない。
あとは相手の呼び方が「あなた」だったら最高。
アムロ、シャアのこと「あなた」って呼ぶの。反則技でしょう

追記
2016/2/2

もともと私が創作者向きでないのも原因の一つなんだろうけれど、タグ(いわゆるカップリング)で作品を判断するよりも作風を重視することが多いから、カップリング中心ではなくて、自分のヒーロー中心に読む。だから好みはあれど、そのカテゴリー外でも喜んで読むし、それどころか、カテゴリー内にあるもの全部が好きになるとは限らないという現実…。
例えばトマトとキュウリを比べたら私はトマト派なのだけど、私の口に合うトマトもあれば、合わないトマトもある、そしてもちろんキュウリが食べたくなるときもあるし、トマトとキュウリを一緒に食べたいときもある。
まぁ目の前に差し出されたら最初に選ぶのはトマトであることは変わりないのだけど、私の中の優先順位なんてこんなもので、少なくともキュウリアレルギーではないんだよなぁ。
アレルギー反応を起こすのって、私の場合は映像作品の方が多いと思う。
具体的なイメージを提示される方が、より情報量が多くなって処理が追いつかなくなる。
食べ物に例えると、そのままじゃなくて、加工品ということになるのかな。
トマトとトマトのゼリーだったら、それぞれのモノによるけど、基本的にトマト単体を先に食べる。
でもトマトゼリーで絶品の味もあるから、本当一概にはいえない。

もし創作者としてやっていくのであれば、このトマト絶品だから、もうこのトマト世界で一番美味いから皆んな食べてくれ!!!そのままトマトを食べる以外は認めん!!って人間になって、たくさんトマト生産するために尽くすことができるんだろうけど、私の場合「トマトという野菜が生み出す可能性が素晴らしい…トマトを知る人々は一体トマトに対してどんな印象を抱いているのだろうか…トマトが生まれた起源は?トマトが向かう進化とは?」みたいなひたすら自己完結する狭い世界で終わってしまう…辛…
トマトが私にもたらしてくれる恩恵に感謝の気持ちを捧げつつ、ひたすらトマト生産者様に飢えを訴えるニート…辛…
しかも私永遠の終わらないトマト求めてて、自分でトマト作ろうとするとトマトのことが気になって一瞬も気が休まらなくて、ついには放ったらかしにして枯らしてしまうという極悪生産人だから…トマトの作り方を世の中の人に知らせる仕事の方が向いてる…トマト好きだけどトマト生産者になれない…
トマト煩い。

オタクって宗教みたいなものじゃん、布教とか宗祖とかって言葉が似合う。
けど、その宗教を信仰しない人を貶すのはどうなのかなってこと…宗教に対する世間一般の見方を知って、肯定的、否定的な意見も両方受け止めた上で信仰をしたいなって…結局信仰からは逃れられないことが多いんだけど(感銘を受けたという事実は変わらないから)、自分と他人の信仰度合いだとか対象の違いだとかも受け入れられるようになろうっていうのが異文化理解ってやつじゃないですか……趣味の範囲で求める基準がおかしいのは分かってる。バッテリーに飢えすぎてこんなことしか考えられなくなっちゃったんだ.


あと、私地雷ってオタク界隈で一番使いたくない言葉なんですよね…だってあれって人を傷つけるためのものじゃん。爆破って何。別にあなたを攻撃するために設置されたものではないし、その作品で嬉しい気持ちになる人もいるのに、その地雷は自分にとって世界にとっての絶対悪って見なしているようですごく悲しい気持ちになる…分かるけど。気持ちはわかります。
私もトマトに塩かけたり砂糖かけたりして出されたら、最初はあんまり良い気持ちしません。そのままかじりつくのが美味しいのに、なんで調味料かけちゃうのかなぁ!?って。でも食わず嫌いは良くないと思って恐る恐る口に運ぶと、案外美味しかったりするんですよね。まぁ自分ではかけないけど。
つまりトマトに塩かける人全員を敵視したくないということ。というか組み合わせによってはとっても美味にもなるわけで、致死量とか本当に身体の拒否反応がない限りは自分にとっての害悪ではないし、そもそも塩かけて食べる人の存在を否定しても良いのか?塩かける人って色眼鏡をかけてしまうとその人の美点を見逃してしまうのではないのか?という勿体無い精神を発揮する。
ある分野においての好みが違ったっていいじゃない。
まぁそもそもオタクに限らず何でも「皆んな良いところがあるのだから仲良くしましょう」なんて聖人でもない限り無理だし、私だって実践しろって言われたら辟易してしまうけれど、できるだけ私が嫌な言葉は自分から回避するにとどめて、自分も使わないように心がけたいというお話でした。

所謂ネット言葉?ってもともと疎いのもあるけれど、基本的に人を傷つける言葉ばかりが溢れていて、あんまり目にしたくない…じゃあネット離れろよって話なんですが。離れたいです。でも現実も生きづらいところがある。
結局インターネットも人が使っているから発展していくわけで、つまり人間完全に人との繋がりを切断するには無人島に生まれるか人類全員滅亡している時代に取り残されるかしかなくて、(本相手にしていても、その本書いたの人間だってことになると、あんまり人と離れているって感じしない…そもそも食料調達とか何やらで、極力接触を避けることができても完璧に縁を切るのは難しいのでは?)お話するの大好きな私は到底そんな状況で生きていくのは考えられない。
考えられない、とか、ありえないって言葉も自分自身に向けるのならともかく、他人に向けるときは気をつけて用いていきたいよなぁ…昔は「なんでそんなこと考えられるの?」って冷たい言い方してたけど、今なら、「どうしてそう考えたんですか?」って聞くかな…あんまり変化ない?日本語難しい…
英語ならwhy do you think so?
で一発なのに…
相手の意見を尊重している態度が伝われば良いな。
言葉は受け取り手次第って尊敬する人から教えてもらったけど、まさにそうだよなぁ。
聞き手の人が、相手を理解したいと肯定的にみなした上で受け取るのと、最初から否定的な目線で受け取るのとでは千差万別。
私はできるだけ前者になりたいなぁ…。
地雷の定義はね、自分のことを消そうとしてくる存在のことを呼ぶって決めたよ

ゾーニングすることと、相手を否定することは全く違うものであると思っている。
どうしても吐き出したくて、私が肯定される世界に逃げこむことは何度もある。
私の悲しみを受け止めてもらって、私の否定を肯定してもらいたい時がある。
でも、それが公共の場で行われてしまっては単なる我儘にすぎないんだろう。
批判は甘んじて受ける。私はまだまだ未熟で欠陥だらけの人間のままなんだろうけど、それでも自分の存在くらい自分で認められなきゃ何も始まらない。
他人と自分と違うことを突きつけられ、さらにある一定集団において自分のみがマイノリティに属していると考え始めてしまうと、自分がそこに馴染まないことを悲しみ、そして他人に対して不必要な怒りを感じて持て余してしまう。
まるでそれが常識であるかのように扱われ、規則にそぐわないものに対する排他的な空気を感じると、あまりの息苦しさに私は何もかも拒絶したくなる。
それはインターネットにおいても、普段の日常生活においても同じことが言える。
とてもつらいと思う。きっと発言した人は私を攻撃する意図なんてちっともなかっただろうに、(仮にあったとしても、正面切って言われない限りは私の自意識過剰なんだと信じていたい。)私は勝手に傷ついて、自分の思考回路も、相手の存在も、何もかもなくなってしまえばいいのにと思ってしまう。
痛みはどうしたら癒されるんだろう。

自分で自分を慰める術を見つけたい。

私が瑞垣に向けるのは私の願望。
愚痴を言うのではなく、自傷行為をするのではなく、逃げるのではなく、自分の内なる動機に目覚めて突き進んでほしい、それは私自身に言えること。

http://www.ted.com/talks/dan_pink_on_motivation?language=ja

http://www.ted.com/talks/susan_cain_the_power_of_introverts?language=ja

http://www.ted.com/talks/io_tillett_wright_fifty_shades_of_gay?language=ja

一年前に見たTEDの内容を私はきちんと理解していなかった。
今書いていることと関連性は特にないのだけれど、やはり時間を経て見返すと、意味の飲み込み方が違う気がする。

受動態にならない動詞(become,lack,meet,have,resemble等)は須く瑞垣を想起させる。だれの意志にも関係ない動作を表す動詞や、相互関係を表す動詞に多い。これは私が彼に対して、自立や他人との関わりというテーマを求めているから。

これは以前の私のツイートから引っ張ってきたもの。
定期的に過去を遡っては自分が何を考えてきたのか確かめ、自分の浅はかさに恥じを感じつつも何とか見直している。

「自分」を生きていく中で新たに付け加えたり削り取ったりしていきたい。

以下は私の今日あった悲しい出来事と、それに伴って私が考えたこと。

以前からオタクは気持ち悪い生き物という世間一般の認識はあっただろうけれど、(Twitterやネットに入り浸っているとつい忘れてしまいがちな事実)
今日の午後留学経験者の先輩から、「留学先では日本語専攻の学生が寄ってくるだろうけど、彼らはアニメ好きのオタクで友達がいないだけ。日本人だから、と親しみを感じてくれるのはいいけれど、向こうはこっちが不安がっているだろうと思っているまではいいとしても、自分達の趣味を押し付けて舐めた態度をとることもあるから、付き合いも大概にしといた方が良いよ」
というアドバイスを受け、オタクを自認する私は大変心苦しい気持ちになったことは言うまでもない…。

オタクが世界中にいるのは知っているけれど、海外に出でもこんな認識なのか、とがっかりしたのはもちろん、そんな世間の認識に対して自分たちの振舞を顧みることなく、オタク同士が互いに敵視している現実が悲しすぎる…

そりゃあ人間すべて受け入れることはできない。私も優しさをないがしろにすることも多々あるけれど、それにしたって人間あまりにも傷つけあってる。悲しい。

私自身こんな隅っこのサイトで何をぶつぶつ何時間もかけて書いているんだろうと情けなくなるけれど、感情に心が振り回されて冷静な判断ができないときは言葉にして整理しなきゃ何も解決しない…。

物語の意義って事実や現象を受け入れるために存在するんじゃないかって自分の論理をここで展開したい。
淡々と告げられる情報だけじゃ、思考力が十分に養われていない私は混乱することしかできない。
だから人が語る物語を求める。
それはアニメでも、漫画でも、小説でも、芸術全般において言えることなんじゃないかな。

無意識に批判ではなく否定を繰り返す自分を諫めていきたい。
相変わらず論理的でない文章構成だから、あとから見直したらまた頭抱えそうだ…



バランスの問題と、今後の課題について適当に書いてます。

ツイッターたのしーとツイッターに居づらいーが定期的に交互に来る。
そもそも自分の周りにいる漫画・アニメ好き友達がネット交流盛んな方ではないから何となく引け目を感じるというのもある。
しかも!彼女らは漫画や絵や小説を書けるのだ!!黙って高クオリティ作品を仕上げる職人!!すげーかっけー!!!
ツイッター離れたら作品書く気力湧くのだろうかと思ったけど全然そうでもない。むしろ意欲喪失した。
たまーにツイッター覗くと、フォローしてる人たちがすげー面白いこと話してる。すごい!!!
なんだか自分がちっぽけに感じる、そんな日々でございます。
あと、なんかTLを見ていると苦しくなっちゃうことがあってね…端的に言うとCP論争だったり解釈だったりです。
色んな人の話が混ぜこぜになって流れて来るTLは利点もあるけど欠点も大きい気がする。
中間の居場所がなくなっちゃう感じ。
中間っていうか…なんていえばいいのかわからない。
例えば私が好きなAというフォロワーはabというカップリングが好きで、またべつの、私が好きなBというフォロワーはbaというカップリングが好きという場合。
私はAさんが語るabというカップリングが好きだし、Bさんが語るbaというカップリングが好き…。
もっというと、好きの度合いから示すと、
ab=ba<Aさん=Bさん、という感じ…
固定にしろリバにしろ何にしろ、フォローしてる人が好き!!が第一にくるんだなぁ…これ、変かな〜…
他にも、abというカップリング内で、CさんとDさんの解釈がそれぞれ違っていても、Cさん、Dさんそれぞれが好きだから私はフォローしてる…

でもそれを字面で見ると、abいいですよね!baいいですよね!abaいいですよね!ってなって、私何が好きなんだよってなりそうでかなしい…

ネットでつぶやき見てるだけでその人のこと好きになるっておかしいだろ!って気もするけど、好きになっちゃうんだよ〜
引かれるの覚悟でいうと、イベントに行くことよりも、フォローしてる人と話す方が楽しい…
そのイベントを、フォローしてる人と一緒に楽しめたら文句なしの最高です。
イベントの種類にもよるけど、参加型イベントは同行者が居てこそ楽しいのかなっていう思いが拭いきれなくて…これはぼっち参加したときのトラウマのせいかな?(^_^;)
なんかファンになっちゃうんだよな〜
この心理状況がおそろしくて、ツイッターあんまり入り浸らない方が良いなと警戒しています…
フォローする人を知るきっかけはジャンルなんだけど、ツイート読めば読むほどおもしろーい!こんな考え方、表現ができるなんてすごいすごい!!ってテンションが上がってしまう。
ああ〜この人好き!!!ってなっちゃうの、こわい…

この前付き合おうって言われてOKした人と別れたんですけど、相手側が結構粘ってらして、好きのパワーってすごいな???って思ったのもある。
まぁこの場合は好きっていうよりも執着だろうけど…

そんなわけで、私はツイッターですごい人発見してストーカーするの、相手にめっちゃ迷惑かけるんじゃ…と思って控えようと努力してます。

それこそお仕事としてツイッターしてたら、新情報を得つつお金を投資するという手段があるけど、ある作品のファンとしての繋がりでお話する相手に投資する手段は、基本的にはない。

応援したいから、リプだったりいいねだったりを送るけど、神に自分の存在を認知されたくないという私の友達(冒頭のネット交流しない派の方々)の気持ちが最近になってようやくわかった…!!

申し訳なさと、好きすぎて苦しい?(地雷を踏んで嫌われるくらいならいっそ私のことを忘れて…?)みたいな気持ちの板挟みになってしまうんだなー、なぞ。
今後も、個人リプライ中心のツイッターの使い方になりそうです…ラインの感覚。
それでも、繋がりを消したく無いから、細々と私におつきあい下さる方々と交流を続けていきたいです。

つらつらと私の最近思ったことを書いてみました。

さいごに!!私のキャラ解釈というか萌えについて!!!
瑞垣俊二の呪いにかかっていたころ(あれは熱狂というより、呪いか病気だった。ネットストーカー犯罪者予備軍になりかけてた)
瑞垣俊二の自伝本が欲しいみたいなことずっと思ってたんですが、それは他のキャラクターにもいえます…

私の好きな子が生まれてから死ぬまでを知りたい…これが私のオタクとしての原動力…

孤独大好きとか言ってたのも、周りの登場人物と私の好きキャラの関係性を言語で固定化すると、まぁいろんな矛盾というか、バリエーションが膨大なものとなって収集つかないので、(そして言語化していくとカテゴリーみたいなものが出てくる)
じゃあいっそのこそ私の好きな子一人だけでいいじゃん!みたいな消去法でもあったのかもしれない…あな恐ろしや。
どう生まれて、どう死ぬのだろう??という人生への関心がある。シチュに拘りはあんまり無いです。
言語化したくないっていうのもあったのかも…あんなに言葉にこだわっていた私がいうのもなんですが。
言語化すると解釈になって好き嫌いが見えやすくなるからかな…
絵が好きっていう友達が、小説と違って絵は解釈に幅があるから良いっていうのが、わかりかけてきました。
私は今でも絵や漫画を見るよりは小説を読むことの方が多いし、そっちの方が好きなんだろな、とは思う。けれど、小説におけるタグに対してとても敏感になってしまったというか、カテゴリー別に分けて欲しく無いなぁなんて思ってしまいました。
登場人物だけで良いよって(笑)
分けて欲しい人もいるから、難しいな(笑)
タグは感想というか、その人個人の解釈としての、別の読物として捉えたいかな。

その人の作品が好きな時、多くの場合その人の解釈もとっても好きなんだけど、玉石混交なツイッターで自分をさらけ出すには、なかなか勇気がいるものです。

バランスに気をつけながら、これからも楽しいツイッターライフを満喫していきたいです。